松の盆栽

松浦 貴昌のパーソナルブログ

奇っ怪な子どもだった私に、母親のとった子育てアプローチとは?

先日、私の幼少の頃の話をする機会があり、どのような子どもだったのか、どのように育てられたのか、ということを話しました。そこで、改めて母への感謝と自分の子育てに対するスタンスが理解できた気がするので書いてみたいと思います。また、もしかしたら、私と同じような特徴を持ったお子さんがいるかもしれないし、私の幼少の経験から何か子育てにヒントになることがあるかもしれない、なんてことも思ったので。

 

奇っ怪な子どもだった私に、母親のとった子育てアプローチとは?

もし小さい頃の私が今の時代に生きていたら、「ADHD(注意欠陥多動性障害)」などと診断されたかもしれません。
というのも、私の小さい頃の特徴を母に聞くと、今の自分ではひいてしまうような奇っ怪な子どもだったのです。(※今回はあくまで自分の体験談をシェアしているだけで、他のお子さんや親御さんに対してあるべき論を言っているつもりはないです。育児は正解がなく、子どもの個性や家族の在り方も多様でそれぞれだと思っています。)

 

本題に入る前に、少し私の家族について紹介させてください。父は自営業(幼少の頃は電気工事会社の社員)、母親は保育士をしていました。私は長男で、下に妹が3人いる、6人家族です。育った場所は、愛知県名古屋市北区。たくさんの子ども達がいる県営の住宅で育ち、高校まで全て公立学校に通いました。それでは、私の幼い頃の体験談を始めたいと思います。

 

少し前になりますが、ある時、母親に「私はどんな子どもだったの?」と聞くと、こうかえってきました。

 

「裸ん坊で、棒を持って、高いところに登るとテンションがあがる子どもだったよ」と。

 

・ ・ ・ ・ ・ ・。

意味不明で、言葉がありませんでした。

どうも私は、全裸で、テーブルなどに登り、ほうきなどの棒を振り回していた子どもだったようです。

 

また、私達家族は住宅の7階に住んでいたのですが、ときどきその7階のベランダから、おしっこをしてしまう子どもだったようです。(この時、母親は悩んだらしいのですが、祖父に相談したところ「5階以上は霧になるから大丈夫」と言われて、「そっかぁ」と納得したらしいです(笑))

 

雨の日には、水たまりで背泳ぎをして、泥まるけに。

気に入らないことがあると、お友達を叩いたり、突き飛ばしたり。

あと、これは、私自身にも記憶があるのですが、たまに蟻やお花を食べていました。(今の私にはまったく意味がわからないのですが・・)

 

そんな自由過ぎる私なのですが、今の自分があるのも、この母親あってのことだなぁと思うので、幼い私のエピソードとそれに対する母親の行動について少し書きたいと思います。

 

自由に歩けるようになった頃のこと。デパートやスーパーで私は、母親が目を離した隙に、すぐどこかに行って消えてしまう子どもでした。そこでとった母親の対策は、どこかに行ってしまっても、どこの誰だかがわかるように、私の服の後ろに、住所と名前と連絡先を書いた布を縫いつけていたそうです。(服の前につけると自分で剥がしてしまうからだそう)

 

また、ある時、私が近所のドブ川から、大きなウシガエルを手づかみで捕まえて、両手で抱えて家に持って帰ってきた時のこと。母親はびっくりはしたらしいですが、怒ることなく、そのウシガエルをバケツの中に入れて、私に「飼ってもいいよ」と言いました。(夜になるとそのウシガエルが、グォー、グォー、と鳴きますので、近所迷惑だったと思います・・・)その後、私はエサがやれないことに気づき、泣く泣く逃がすことを自分で決めました。

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小学校にあがると、私は昆虫や生き物にしか興味を示さず、学校の勉強にはまったく興味が持てませんでした。漢字ドリル、計算ドリルでさえ、書けない、書きたくない子どもで、机に座っているより、外で虫を追っかけていたい衝動にかられていました。(今だったら多動ぎみと言われていたかもしません。)

 

そんな私ですから当然、テストの成績はひどく、よく居残りさせられていたのですが、そんな状況でも、母親は勉強しなさいとは言ったことがありません。むしろ「貴昌は、昆虫博士だよ」と褒めてくれていました。(ちなみに勉強嫌いは高校を卒業するまで続きました)

 

また、恥ずかしながら小学2年生までウンチをお漏らししていたのですが、そういったことも怒ることなくたんたんと受けとめてくれていました。(洗うのは自分でやるのが決まりでしたが)

 

思い出すと私は、母親からは躾以外のことで、「やってはいけない」と言われた記憶ほとんどありません。また、やりたいことのほとんどをやらせてくれたと思います。

 

こうやって母親が、そのまま丸ごとの私を受け入れてくれ、愛情を込めて育ててくれたおかげで、今の私は、根拠のない自信があったりしますし、自分の興味を持ったものには集中し、探究するパワーを得たのだと思います。(ただ、今でも興味がないことにはエネルギーでません。。)

 

上記のように、かなりのやんちゃっぷりで迷惑をかけてきた私なのですが、それだけでなく、幼い頃はとても病弱な子どもでした。ぜんそく、慢性鼻炎、アトピー、動物アレルギーなどがあったのです。すぐ熱を出していましたし、そのたんびに、ぜんそくで気管支が狭まり、息が苦しくなり、「死ぬ、死ぬ・・・」と繰り返し言っていました。そういった時も母親は、夜中でも背中をさすってくれていたことを覚えています。また、アトピーで手や腕の関節を掻きむしったり、猫に触って、目を腫らし、鼻水が止まらなくなったりと、心配をかけることも多かった子ども時代だったと思います。

 

まとめっぽく・・・

幼少のころ、とても病弱で、意味不明の行動を取り、たくさんの人に迷惑をかけてきた私。そんな私をのびのびと育てあげてくれた両親には本当に感謝しかありません。

 

その感謝の気持ちが、現在、私が息子の子育てを「精一杯、できる限りやりたい。させてもらいたい」という強い気持ちに繋がっていると思います。

 

ですから、もしこれをご覧の方の中で、ご自身のお子さんが、昔の私のように、意味不明の行動や言動を取っていたとしても、安心してほしいと自分の経験からは思っています。なるべくその子のありのままを受け入れていけば、自然と意味不明な行動や言動はなくなっていくと思います。(子どもとしては「意味」はあったりしますが)

 

また、親のおもいなどは、その子に伝わっていると思いますし、理解はしていると思います。ただ、本人的にはどうすることもできなかったり、自然と身体が動いてしまうことがあるのだと思います。私が振り返ってみても、周りの大人の言いたいことはわかっても、その時にはどうしても衝動が抑えられなかったり、やれと言われてもやれない時がありました。頭でわかっていても身体が動かないことがあるのです。

 

その時にはうまく表現できなくても、だんだんと自分自身の中で折り合いがついていき、収まっていくことが多くあると思います。(今は裸で高いところに登ることはありませんし(笑)当たり前ですが。)また、親からの愛情の充電が、変化するきっかけや勇気になると私は思っています。


私が母から教わったことは、「その子のありのままを受けとめる」こと。これからも自分の息子を育てる過程で実践し、学んでいきたいと思っています。と同時に、もしも息子が、自分のような子どもに育ったら、、、母親と同じように受けとめる自信がないのも正直なところです・・・。(笑)

 

【追伸的に】ここまで書いてもう一つ大切なことを書きたくなっている自分がいます。それは、もしかしたら子育てや育児の前に、「親である自分自身が、ありのままを受けとめてもらう体験が必要かもしれない」ということです。また、受けとめてもらうのは他者ではなく、自分自身かもしれません。ありのままの自分に対して、自分が「私は私でよかったぁ」「産まれてきてよかったぁ」と、言ってあげることも必要なことだと思います。

これはこれでたくさん思っていることがあるので、これはまた別の機会に書きたいと思います。

 

本日は、「お父さんの日」ですが、今回は自分のお母さんについて書いてみました。何か一つでも気づきや参考になることがあれば幸いです。ではでは~。

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※イメージ写真です