災害時のいざという時、自分の子どもは生きのびることができるだろうか?
地震や津波、火災や洪水などの災害時に、たとえ子どもが一人でいたとしても、自分で自分の命を守ることができるだろうか?また、命が守れるような教育を、家庭や学校でやれているのだろうか?
心理的にも負荷の強いこの問いは、2011年3月11日の東日本大震災を機に私が教訓としても考え続けているものです。
その考えるきっかけになった東日本大震災の2つの小学校の避難をめぐる出来事をご紹介したいと思います。(因みに私もこの問いは出来ているとは言えず、戒めも含めて書いています)
2つの学校とは、宮城県の大川小学校と岩手県の釜石小学校です。この2つの学校の大きな違いは、地震が起きた後の津波が迫る中で、子ども達や教師が取った行動の違いにあります。結果的にそれが明暗を分けることになり、大川小学校ではほとんどの子どもや教師が津波に流され亡くなったのに対して、釜石小学校では、ほとんどの人間が生き残りました。
具体的に何があったのか、短く書いていきます。
釜石小学校では地震があった後すぐに、副校長が「(避難所へ)走れ!」「点呼など取らなくていいから」と大声で叫び、子ども達も教師もバラバラに丘を駆け上がりました。また、その避難所の高さに津波が迫ったとき、中学生らが「上に登るんだ!」と声をあげ、さらに高台に逃げたおかげでほとんどの命が守られました。
一方の大川小学校では、地震の後、まず校庭に子ども達が集められ先生たちの相談が始まりました。その時、学校の正門にはスクールバスがいつでも出発できるように待機していて、学校の近くには裏山もありました。子どもの中には「山さ、逃げよう」という声がありましたが、聞き入れられることありませんでした。驚くことに大川小学校の危機管理マニュアルには、津波の避難先として学校周辺には存在しない場所がひな形のまま記載されていたことも後でわかっています。
結果、高台への避難の放送などがあったのにもかかわらず、選択できないままに約50分もの間、子ども達は校庭にとどまることになりました。そしてそこから突発的に橋のたもとの三角地帯に移動しようとした矢先に津波にのみ込まれ、74人の子ども達と10人の教師が大津波の犠牲になりました。生還できたのは、わずか子ども4人と教師1人だけです。
ここで私が思ったのは、もしも大川小学校の子どもや教師らが自らの頭で考え、行動できる人間であったなら、事態は変わってはいなかっただろうか、ということです。
そして、ここでさらに問いたいことは、家庭や学校の中で、ただ盲目的にマニュアル通りの行動をすればいい、という子ども達を思考停止にする教育をしてはいないだろうか。親や教師の言うことに疑問を挟まず、従順に聞くだけの受け身の子ども達を増やしてはいないだろうか、ということです。
この東日本大震災の出来事は、多くの命が伝えてくれた重要な教訓だと思っています。
今一度、「地震や津波、火災や洪水などの災害時に、例え子どもが一人でいたとしても、自分で自分の命を守ることができるだろうか?また、命が守れるような教育を、家庭や学校でやれているのだろうか?」
考えてみていただけると嬉しいです。
あと、一つご紹介したい情報があります。
まさにこの「いざという時、生きのびるこどもを増やす」というコンセプトの学びの場『2019東京 こども防災&イングリッシュキャンプ』が開催されます。
子ども達が主体的に楽しみ体験しながら幅広く防災を学び72時間「生きのびる力」を身につける機会です。外国人留学生のお兄さんお姉さんもたくさんサポートしてくれるみたいです。
対象は小学1~6年生(新1年生と中学1年生を含む)です。
ぜひこの機会に親子で上記問いを考えるきっかけにしてもらえたら嬉しいです。ではでは。
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