松の盆栽

松浦 貴昌のパーソナルブログ

平成最後の大挑戦「港区議会選挙」を振り返って。

平成が終わる前に、私にとって平成最後の大挑戦となった「港区議会選挙」を振り返っておきたいと思います。

 

改めて結果は、677票で落選となりました。(当選票数は1089票です)

これは、54人中41位で完敗です。(定数34人)

 

応援いただいた皆様には、私の力不足で申し訳ない気持ちでいっぱいです。そして、676人(自分を抜き)の私に信託し票を入れてくださった方々には感謝しかありません。改めてその一票一票の重みを感じています。一票一票を争う選挙戦で今回の選挙は文字通り「一票」が当落を分けました。1089票で当選し、1088票の方は落選となってしまいました。

 

↓平成31年4月21日執行 港区議会議員選挙開票状況速報(確定)(PDF:185KB)

https://www.city.minato.tokyo.jp/senkan/kugikai/documents/190421-kaihyou05.pdf

 

当選すれば、議員として仕事ができます。ただ、落選してしまえば、当たり前ですができません。実際に自分が経験してみるとなかなかシンプルで残酷なものだなぁと実感します。

 

なぜ選挙に出ようと思ったのか? 

私が今回の選挙に立候補すると決め、家族から了解をもらったのは昨年2018年の10月のことです。(詳しくは以下のブログ記事を参照)

 

 

その時点で4月の選挙まで半年しかありませんでしたが、思い立ったら動かずにはおれない性格と、4年後の選挙まで待つということはその分子ども達にとっても重要な4年が通りすぎてしまうと思い、出馬を決断しました。

 

もう一つには、2020年を超えるとオリパラ特需のあった東京も不動産や経済など様々な面で調整が起こり、また、2025年には団塊世代が75歳以上の後期高齢者になることで教育予算の確保も益々難しくなっていきます。そういった中で火中の栗を拾おうと思ったこともあります。そして、私のビジョンである「分断」ではなく「つながり」の街にしようと。

 

その後、昨年10月から今年の4月21日の投開票日まで約半年間走り続けました。

状況としての補足ですが、思い立ったのが選挙の半年前で、選挙に向けて前もって準備していたわけではありません。そして、地盤があるわけでも、地域活動をやっていたわけでも、大きな党から出るわけでもなく、過去に選挙を経験したわけでも、秘書の経験もありません。こう書いてみると、今ではどれほど無謀な挑戦だったのかわかります。(この辺りの選挙事情はまた別の機会に)

 

でも、街に「つながり」をつくり、笑顔を増やしたかった。子ども達の教育環境や学びを豊かにしたかった。命を守りたかった。そういったおもいでした。「港区」から出たのは、妻の実家があり結婚を機に引っ越してきて息子を二人育てている、息子にとっては地元になる街、というご縁です。

 

また、当初は他の党でぴったり理念や方向性が一致するところもないので「無所属」で考えていました。その後、ご縁で「あたらしい党」から出ることになります。

 

2018年12月末から政治活動をスタート

いろいろと勉強しながら準備を始めました。政治活動を本格的に始めたのは12月の末からです。政治活動は選挙活動と分けて考える必要があり、選挙活動はタスキに名前を出して「立候補します」「一票ください」と言えるのですが、政治活動では名前も出せず、立候補、一票、など公職選挙法により言えません。なので、タスキは「本人」とか、「区政に挑戦します」という言い回しになります。

 

そういったこともあり選挙活動が中心のように思われるかもしれませんが、政治の世界では「政治活動で当落が決まる」と言われており、重要なのは「政治活動」のほうです。イメージでいえば、政治活動が畑の種まきや育成で、選挙活動は収穫にあたるものです。種をまき、育てなければ収穫もありません。

 

政治活動をシンプルに言えば、私「松浦貴昌」を知ってもらう活動です。港区で私のことを知っている人はほとんどいないわけです。そこで存在を知ってもらい、考えやおもいを少しでも共有する、そのための活動です。また、区民の皆さんの意見や課題を聞き、政策などをブラッシュアップする機会でもあります。

 

そのために、平日は早朝から毎朝、駅に立ち、挨拶をしながら政策やおもいを書いたビラを配りました。できる時は夜も終電近くまでこの「駅頭」「駅立ち」をやりました。12月末から始めたので真冬の極寒の中のスタートです。駅に立って1時間もすると身体は芯から冷えて、手はかじかんでビラを1枚だけ取ることも難しくなります。それでも知ってもらうために、1月中旬からは平日は毎朝、雨の日も、風の日も1日も休むことなく駅に立ち続けました。

そして、日中の昼間は、街を歩き、地域の課題などを聞いて回りました。実際にやってみると地域について詳しくなりますし、一人ひとりの課題も聞けるので、これが重要な政治活動だなぁと実感しました。また、私は常に自転車で活動しましたので地理にも本当に詳しくなりました。

 

こういった活動を、仕事と育児を平行しながら進め、2月くらいからは政治活動に集中できるように仕事を調整していきました。

 

私にとってこの数ヶ月の政治活動は学びも多いですが、とても試練で辛い時間でもありました。家族に申し訳ない思いを持ちつつ、極寒の中やっていることになかなか実感が持ちづらい時間でした。駅でビラを配っていると、「邪魔だ」「うざい」なんて言われることは日常茶飯事です。中には、ビラを渡した瞬間、目の前で投げ捨てられる経験も2回ほどしました。自分のビラをコンビニのゴミ箱で見つけることもあります。夜は酔っ払いに絡まれることもあります。

 

その一方で、優しい言葉もかけてもらったり、差し入れにあったかい缶コーヒーや中学生から「からあげくん」をもらったこともあります。選挙戦でかなりお世話になった富津市の議員の方との出会いは田町の駅頭でした。また、早朝と夜の駅頭にびっくりしてお声がけいただきそこから仲良くなった方もいます。そういったプラスの部分も少なからずありますし、辛いときの心の支えにもなりました。

 

しかし、総じて言うなら、精神的な修行の側面が強かったなぁ、と思います。

 

そんな政治活動を4月13日(選挙公示前)までやりました。この間にもたくさんの仲間に極寒の中で駅頭や街頭などのお手伝いをいただき、また政治活動の手探りの中での印刷物やWEB、映像などの作成などもやっていただき、本当に感謝しかありません!そして、私と家族を支えてくれた妻にも。

 

いよいよ選挙活動、そして21日の投開票。

4月14日(日)から20日(土)までの一週間が選挙活動なります。

ようやく大っぴらに「立候補したので一票ください」と言える期間です。選挙事務所は善意で貸していただき、選挙カーも出すことにしました。選挙期間になると組織力や人とのつながりが本当に重要になります。選挙カーも運転手とウグイスが必要になりますし、交代要員がいなければ続けられません。候補者も駅や街頭でビラ配りや街頭演説をするので、そのサポートの運動員が複数名必要です。ボランティアスタッフの出入りが活発なので、事務所を守ってくれる人もいります。初日にはポスター貼りや証紙貼りという大変な作業もあります。そんなたくさんの作業、仕事を支えてくれる人が結果的には120名ほど集まり、なんとか無事選挙期間を終えることができました。(途中必死に「HELP!」を叫びましたが。。)

 

こう書くと、組織づくりやスタッフのリクルーティングもちゃんとやりながら進めたように思うかもしれませんが、実は全くできておらず、最後のこの結果は奇跡のように思うほどです。

 

選挙のためのコアチームをつくろうとしたのは11月に入ってからです。しかしその後、自分の活動でいっぱいいっぱいになってしまい、2月くらいまでまともにチームとしては動いていませんでした。このままではやばい・・・と、友人の一人が率先して組織づくりを始めてくれ、それに呼応、巻き込まれるように、仲間も増えていきました。また、この組織づくりが「ティール」「ホラクラシー」と言われる指示命令がなくとも自律的、主体的に動く組織づくりだったことも大きかったです。結果的には、私は候補者しかできない仕事に集中することができ、それ以外の膨大な仕事は他の方が自発的におこなっていってくれました。なので、私からしたら組織としてボロボロだった状態からの奇跡のような話しです。

 

詳しくはその友人が書いた記事を参照ください。

note「ティール組織で選挙を戦ってみた (結果編)」

https://note.mu/scommunity/n/n0b4744eeda6e?fbclid=IwAR0NzkUB-xYgwUiA2cHk9y8RYT_1Z0dW7qYP8Tde_qViazVEo14CIf4EuVQ

 

以上のように、昨年10月からざっとですが振り返りつつ書いていきましたが、本当に密度の濃い、学びの深い経験を仲間や家族と共に重ねてきました。苦しいときに励まし学びをくれた人、孤軍奮闘しているときに動いてくれた人、私とともに活動をしてくれた人、他の人を声がけし巻き込んでくれた人、遠隔ながらできることをやってくれた人、投票を呼びかけてくれた人、活動をしてくれた人を裏で支えてくれた人、今回関わってくれた全ての方に心からの感謝を伝えたいです。関わった人から個別に感想をもらう中でも、スタッフの一人ひとりが素敵だった、空気感がよかった、など仲間を褒めてもらうことが多いのも印象的でした。私が思い出してもスタッフみんながいつも笑顔で助け合っていましたし、私のビジョンである「つながり」の強さが体現されていたチームだったと思います。今回の選挙は自分の人生の総決算の機会であり、自分がどれほど素晴らしい方々とのご縁やつながりがあるかを実感する機会になりました。本当に、本当に、ありがとうございました!!

 

そして何より、どんな時でも私のことを応援し支えてくれ、家族のために尽力してくれた妻に心からの感謝を込めて「ありがとう」を伝えたいです。この半年は4歳と1歳の息子がいる中での本当に大変だったと思います。

 

結果としては、落選という望まないものになりました。しかし、多くの仲間たちや家族のおかげで後悔のない、現状の実力は出し切る活動ができました。

 

今後については未定ですが、今、私が持っているビジョンや在りたい姿について1mmも変更はありませんし、これからも「分断」ではなく「つながり」のビジョンや教育に向けて邁進していきたいと思っています。

 

繰り返しになりますが、この松浦と関わってくれ、応援やご支援くださった皆様、本当にありがとうございました!

 

これからもこの松浦とどうぞ仲良くしてやってください。どうぞ宜しくお願いいたします。

 

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