全ては「陰陽」。右あっての左。ティク・ナット・ハン氏の番組を観て思ったこと。
NHKでベトナム人禅僧のティク・ナット・ハンさんの番組がやっていたので、第一回~第二回を観て感じたことを書きます。
ティク・ナット・ハンさんは、最近googleなどの企業の研修でも有名になり、よく聞くようになった「マインドフルネス(今ここに存在する自分に気づく)」を実践され、広げてこられた方です。
以下は、私が番組を観て思ったことです。
(勝手な自分の解釈から話を展開しているので私の考えとして読んでください)
「平和をつくるためにどうしたらいいか?」
外に平和を求めていては、いつまで経っても平和は訪れません。自分のなか、内側にこそ、平和が必要なのです。
だけれども、私たちは、何か苦しい、悲しいと思ったときに、外に理由を求めて、解決しよう、安心しようとします。しかし、それは一時的な解決でしかなく、心は落ち着きを取り戻すかもしれませんが、また忘れた頃に同じような事が起こり、感情がよみがえってきます。私たちはこの繰り返しをし続けているのかもしれません。
その繰り返しを終わらせようと思ったら、外に理由を探すのではなく、自分の内に目を向ける必要があります。なぜなら、その感情を生み出しているのは、他人ではなく自分だから。
では、目を向けるとはどういうことか?
「気づく」ことです。
これが本当に大切なことで、と同時にとても難しいことと思います。
私たちは、怒りなどの感情が出てきた時に、自分の感情に気づくことができていないことが多いと思います。感情にとらわれて、そのまま言葉や態度に表し怒ってしまうことが多いのではないでしょうか。そこで、出てきそうな感情にふっと手を挟み「気づく」。「ああ、私はこんな感情があるだなぁ」と。この手を挟みこむ感覚、間をとり感情を掴む感じがやりやすくなるのが、瞑想だと私は思っています。
そして、気づいたら、次は「味わう」。すぐに思考に走らず、その生まれた感情そのものを味わう。味わう先に「手放す」ことが待っていると思いますが、私は「味わう」までいっていたら、「手放す」ことはそれ自体を手放して、一旦は味わうまでで良いと思っています。いずれ、時が来たら勝手に手放されるものだと思いますので。
この一連の流れを、ティク・ナット・ハン氏は、「怒りの炎を抱きしめる」と表現されていたのだと思います。うまい表現だなぁと思ったのと、この表現を聞いて想起したのが、「気づくき、味わう」という流れです。怒りの炎にまず気づく。そして、そこから逃げるではなく、抱きしめる。味わう。そうすると怒りの炎は慈悲の心へと変化するのだと思います。
そして、もう一つ、「右あっての左」。
「右」は単独では右でいられません。「左」があるから「右」があるのです。
私たちは、ともすれば自分の意見やおもいに共感してくれる人を好み、違う意見やおもいの人を排除しようとしてしまいます。例えば、右翼、左翼、タカ派、ハト派などの対立構造を作ってそれぞれが一方を目の敵にしていることが多いと思います。
ですが、右あっての左」なんです。
片方だけでも成り立たない。つまり両方あっていいし、あるものだ、ということになります。消そう、排除しようとするのではなく、違いを受けとめあうこと。ここに平和のヒントが隠されていると思っています。
陰陽五行の世界にも、「陰」と「陽」とあり、どちらも必要であるとされています。
「良い」「悪い」と対立構造にしないで、両方あっていいじゃない、と認めつつ、違いを明らかにしていく。その上で、選択と意思決定を共にしていくことが平和に繋がると改めて思いました。
以下はシッタカブッタという本からとりましたが、陰陽、両方あっていいし、あるものだ、ということがわかりやすいと思います。
ということで、上記に限らずティク・ナット・ハン氏の話にたくさんインスパイアーされたので、映像を探したらYoutubeの映像を発見しました。また後ほどゆっくりと観たいと思います。
ティク・ナット・ハン、'03年リトリート1日目(1/11)Thich Nhat Hanh - YouTube