松の盆栽

松浦 貴昌のパーソナルブログ

2018年を含むこれまでの振り返りと未来への決断

2019年を迎えるにあたり、ひとつ決断をしたことを報告させてください。

これまで長年、NPO法人ブラストビートを筆頭とした子どもや若者対象のさまざまな教育プログラムに関わり、教育に関わる多くの先進的な現場や事例を学んできました。大学で学び小・中・高(社会)の教員免許も取得し、また、たくさんの自治体首長や行政職員、ソーシャルアントレプレナーの方々とお話しする中で、新しい教育と社会システムを実現するために、港区政に挑戦することを決心いたしました。

 以下、詳しく説明させていただきます(長いです。。)!

ブラストビートを筆頭に、教育への関りを深めて来たこと

今年2018年の私の大きなニュースとしては、3月の明星大学の卒業があると思います。2012年に一念発起して明星大学教育学部の通信に入学しました。元高卒のバンドマンだった私としては、これが人生初の大学生活のスタートでした。

入学後に結婚し二人の子に恵まれ、子育てと仕事(株式会社とNPO)、そして大学生活とバタバタと忙しく、しかし周りの方々のサポートのおかげでなんとか幸せな日々を送っておりました。本当に感謝です。

教職課程の大学だったので、教員免許を取るために小学校と中学校の約1ヶ月の教育実習や特別支援学校での実習、介護施設での就労体験などを経て、レポートと試験を繰り返し、卒業論文(2020年の教育改革の是非)をギリギリで書き上げて卒業できたのが今年2018年でした。実に6年間かかりましたが、170単位ほど取得し教員免許を、小学校、中学・高校(社会)と取得することができました。

教員免許を取得しようと思ったきっかけは、2009年からNPO法人ブラストビートを立ち上げ、「チャレンジする10代を増やす」というミッションのもとに、アントレプレナーシップを育成する音楽を使った教育プログラムを提供してきたことがあります。

このプログラムは、高校生や大学生が一つの会社をつくり、音楽イベントを自分たちの力でプロデュースし、利益の一部を寄付することを、100日間でやり遂げるプログラムです。また、それを支えるのは社会人や経験者OBOGのメンターです。「先生」という立場ではなく、社会に出た「先輩」だからこその伝えられる学びがあるだろうとこの制度をつくりました。

「多様なつながりから人は多くのことを学ぶ」そんなことを確信に変えてくれる日々でした。

ブラストビートを運営する中で、「チャレンジする子ども達を増やすために学校に入っていきたい」と強く思うようになりました。ブラストビートのような一見障壁の高そうなチャレンジにもバンバン飛び込んでくる若者を増やしたかったのです。

そこで大学に入学し教職課程に行きつつ、2013年からNPO活動として、本格的に中学校や高校(公立中心)に「キャリア教育」という文脈で授業を提供し始めました。内容としては、様々なキャリアや人生を経験している「生きる力」を持った社会人に、子ども達と出会ってもらい、そのリアルな体験や経験を伝えてもらう、ということです。

現在で増えてきているパラレルキャリアの人や、紆余曲折あったけど現在はイキイキと楽しそうに仕事をしている人など様々な社会人と、時にはビジネスアイデアをプレゼンするという実践的なプロジェクト学習(PBL)も提供しました。

結果的に子ども達から、「仕事が楽しいものだと初めて知った」「早く社会に出てチャレンジしてみたい」などのコメントをもらい、とてもたくさんの変化が生まれました。

また私の中で、「学校が開かれて、多様な人たちが学校に入り子ども達と出会っていけば、より豊かな変化と学びが生まれる」と確信していきました。

そして私の意識は、NPOと教職課程の経験から「学校教育」や「家庭教育」などのテーマに自然と移っていきました。大学生活の中でも教員免許を取得したら「初等教育に関わりたい」という思いも強くしていきました。

 

教育実習で個々の教員を超えた「システムの問題」が大きいと知る

そして転機は訪れます。教育実習で港区の小学校で教育実習を経験しました。

この教育実習は私にとってとても辛く、しかし学びの多いものになりました。教育実習から2週間くらい経ったころには、朝、心臓が締め付けられるように痛くなってしまうほどでした。しかし、自分なりにできることを精一杯頑張ろうと自分なりに子ども達とも向き合いました。

私の至らなさ故のことですが、最初から最後まで試練の時となりました。ただ救われるのは子ども達とはとてもいい学びの思い出ばかりです。

この教育実習であったことは、誤解があるといけないので詳しくは伏せておきたいと思います。ただ、こういった経験の中で私は、行政も含めたシステム全体としての問題へ意識を向けていくようになりました。

少し書いておくと、教職大学から教員採用の流れ、教員の研修や異動、キャリアステップと管理職のなり手、そして退職後の教職大学への関わり。そういったシステムが周り続けていること。また、学校と教育委員会、文科省や議会との構造や行財政の仕組み、といろいろと見えてくるものがありました。

その中で一つ気づいたことは、ニュースではいろいろ言われるところもありますが、実際に出会ってみると学校もその他の機関でも、一人ひとり見れば素晴らしい人がほとんどなのです。ただ、システムや構造の問題がより良くすることへの足かせや逆効果に働いているのではないかと思うようになりました。

 

いろいろ調べ、自治体首長、社会起業家の方々と話す中で新しい教育を実現すべく区政への挑戦を決意

私は教育のシステムや構造、教育委員会や文科省などの教育行財政や教育政策などにも興味を持つようになり、
益々「教育」や「学校」というものを探究することになりました。そして、NPO法人ブラストビートの理事としては残りつつ、現場を離れました。信頼できる仲間たちにバトンを渡したのでした。

2018年3月には晴れて大学を卒業し教員免許を取得。入学当初にイメージしていた教員にはならなかったですが、子育ても同時並行だったこともあり、学びはとても大きく充実したものになりました。
2018年4月から教育政策や政治の世界なども勉強を始めようと思い、日本大学 法学部 政治経済学科(通信)の3年次編入をしました。

また、時を同じくして、「コクリ」というプログラムを経験し、たくさんの地方自治体の首長や行政職員、ソーシャルアントレプレナー(社会起業家)の方々とお話しする機会を経て、新しい教育システムや新しい学校ができるのではないかと希望を持つようになっていきました。

調べてみると、公設民営の学校として、新しい学校や新しい学童がつくられ、実績を上げている事例も出てきています。(税金で学校をつくり運営を民間に委託する方式です)

そして、私が長年もっていた確信である「多様なつながり」からの教育も、「コミュニティ・スクール(学校運営協議会制度)」というかたちで徐々に広がってきています。

このような中、新しい教育システムや新しい学校を作るために、行政に関わるという選択肢が見えてきました。行政区は今、住んでいて私の子どもたちの地元となる港区です。
私の人生の、バンドマンで多様な人たちに出会った経験と、株式会社の経営者としてのビジネスや人材育成の経験、教育NPOでのつながりでの教育の経験、教職課程での経験、それ以外でも数々の経験を活かし、いろいろな人たちと話す中で育てて来たビジョンを、これまで出会ってきた人、これから出会う人とさらに豊かなものに育て、実現するべく、港区政に挑戦することにしました。

 

「教育を軸につながり合える街」を港区で実現したい

今後、挑戦していきたいとことを一言でいうなら、「教育や子ども達を中心としてつながり合える街にしていきたい」ということです。区政は生活に密着した部分になるので、政策についても具体的なものになっていきますが、今回はその中でも少し触れておく程度にしておきます。

教育については前述した「コミュニティスクール」や公設民営の新しい学校や学童についても推進したいと思っています。以下にはそれ以外の街や地域というところポイントに書いておきます。

私自身が生まれ育った街は、本当に地域のつながりが強いところでした。公営住宅に住んでいたのですが、ご近所さんは鍵がかかっておらず、ふらっと行ってはご飯を食べさせてもらったり、地域のおじさんから生き物のことを教わったりしたものです。そういった経験が地域への恩返しや恩送りへの気持ちになっています。

一方で港区は町会が消えていっています。私のマンションでも区役所に町会を問い合わせたところ、「松浦さんのところに町会はありません」と言われてしまいました。

「地域」を意識し出したのには、子育ての経験があったから、ということもあります。子どもが急に熱を出したり、何かトラブルになったり、大きな地震があったときなど、子どもや家族を守るには住んでいる地域の単位がとても重要だと思いました。

そんなこともあり、今年2018年に「上級救命講習」を受け、乳幼児を含めた心肺蘇生やAEDの使い方なども学び、もしもの時に備えました。(丸一日の講義でおすすめです)

あと、港区は多様性に溢れています。企業も多く、平日昼間の人口は3倍になります。また、大使館や領事館も多く外国の方も多く住んでいます。そして、歴史的な建物やお寺も多く伝統文化も豊か。それらのリソースを学校で活かせば、素晴らしい教育や授業が実現するはずです。そして、地域や社会人が学校の中で担う役割や範囲を増やせば、先生が使える時間も増やせると思うのです。今の状況では新たなやることばかり増えてきて、あまりにも忙しすぎます。

 

ここで、私が尊敬する元ウルグアイの大統領のホセ・ムヒカ(ペペ)の言葉を引用します。

「人生で最も重要なことは、勝つことではありません。最も重要なのは、"歩み続ける"こと。これはどういうことなのか。それは、何度転んでも起き上がること。打ち負かされても、もう一度やり直す勇気を持つことです。」

 

思えば、私の人生も失敗と困難の連続でした。そしてまた、困難がたくさんありそうです。でも、諦めない。歩みを止めない。それだけを胸に、多くの人の学びと幸せに貢献できるよう、あと20年~30年は走り続けたいと思っています。

今、息子を二人(3歳と1歳)港区で育てています。

まず彼らの生きる社会や地域をより良くしていき、また父親や地域の大人としてのチャレンジする背中を子ども達に見せていきたいと思っています。

まだまだ未熟なところが多々ありますが、応援をどうぞ宜しくお願いいたします。

 

松浦貴昌

 

 

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